« 真夜中の述懐と覚悟の表明 | トップページ | 幸福の科学統合スレッドpart631より »

2011年12月29日 (木)

玄奘三蔵の霊言

今年の初め頃、2ch投稿者「聖杯と剣」さんと、幸福の科学信者「よしもん」
さんの対話から、霊言創作の試みがありました。当方にて編集を加えつつ、
その様子を再現いたします。


玄奘三蔵(六○二-六六四) *ウィキペディア参照

唐代の中国の訳経僧。尊称に三蔵法師、玄奘三蔵などがある。

仏典の研究には原典に拠るべきであると考え、仏跡の巡礼を志し、貞観3年(629年)
唐王朝に出国の許可を求めた。しかし、許されなかったため、国禁を犯して密かに
出国、河西回廊を経て高昌に至った。西域の商人らに混じって天山北路を辿り、中央
アジアの旅を続け、ガンジス川を越えてインドに至った。ナーランダ大学では戒賢に
師事して唯識を学び、各地の仏跡を巡拝した。学問を修めた後、天山南路を経て帰国
の途につき、657部の経典を長安に持ち帰った。帰国した彼は、持ち帰った膨大な梵経
の翻訳に専念した。太宗の勅命により、弘福寺の翻経院で翻訳事業を開始した。


1 開かれた思想と「仏の心」

聖杯と剣 私たち教団は、開かれた思想とは何かを探究する組織です。本日は信徒の
方だけでなく一般の方にもご参加頂いていますが、新たに招霊を試みるに当たって、
是非ともこの霊人の言葉は聴きたいというリクエストはありますか?

よしもん はい!(挙手しつつ)

司会・旅人 では、そこのウサギコスプレの男性どうぞ。

よしもん ありがとうございます。リクエストさせていただきます。私は幸福の科学
という宗教団体の信者であり、日々「仏の心」とは何かをテーマに探究を続けており
ます。現在は東京と千葉を行き来する日々ですが、時折ふと、人里を離れた遠い異郷
へと旅立ちたい衝動に駆られることもあります。
 そこで、遠い西域へと「仏の心」を求めて旅立ち、数々の仏典を故国へ持ち帰った
玄奘三蔵、西遊記のモデルともなったかとは思いますが、かの高名な三蔵法師様より
御言葉を賜れたらと存じます。よろしくお願いします。

聖杯と剣 なるほど。「仏の心」は果たして遠い地で見つかるものなのか、はたまた
別のところにあるものなのか、是非とも招霊して霊人の言葉を賜ってみましょう。心
の準備はよろしいですか?それではいきましょう。玄奘三蔵師よ、今こそ我ら現代人
に仏弟子の心構えを授け給え。

(沈黙)

2 旅と学問は我が宿命

玄奘三蔵 この場に招かれたことを光栄に思う。我が言葉が普遍に通ずるものである
ことを切に願うばかりだ。あの唐の時代から幾年経った事だろう。地上に降りてきた
という感覚を、今的確な言葉で表現するのは難しい。それほどまでに、地上の時間と
霊界の時間には感覚のズレがあり、その差を埋めることは困難極る。有限なる人生の
時間を使い切って何かを残すという感覚と、無限なる生命の大河の中で何かを追い求
めるという感覚、両者は永遠に交わること無いものであるかもしれず、または一瞬に
して融合するものなのかもしれない。
 振り返って、我が地上における人生は、西域への旅と翻訳で終わった。今を生きる
諸君からすれば、労多くして益少ないと考えるかもしれないが、我は旅と学問に捧げ
た人生を誇りに思っている。
 我はこのように生きることを宿命とする魂なのかも知れぬ。後には西の地に生まれ、
「エラスムス」という名前で、同様に旅と学問の人生を送った。その時代にも、我は
政争と宗教戦争に巻き込まれ、もう地上にでるのはうんざりという想いがある。

よしもん 今は何を主に探究されているのでしょうか?

玄奘三蔵 今はやはり、学問を中心としている。君達の言葉で言えば唯識・中世神学
など、当時私が生きていた時の教養を中心に学習している。
 我が名は有名だが、ナーランダーやアジャンター、アレキサンドリアで学んだ人々
と接する度に、さらなる勉強の必要性を痛感する。

よしもん もし現代に生まれ変わるとするならば、どういった人生を送られますか?

玄奘三蔵 もし君達の時代に生きるとするなら、学校に住み込み、一生学校の外には
出ないオックスフォードの神学者のように生きるか、再び旅と学問の人生を生きるか
のどちらかだろう。

3 仏陀との同時代性は特権にあらず

よしもん 玄奘三蔵様は、経典を求めて天竺に旅をされ、そして、仏陀が悟りを開い
たとされる菩提樹の下へと辿り着かれたとき、仏陀と同じ時代に生まれ合わすことの
出来なかった我が罪業に、大いに涙されたと伺っております。そのときのご心境を、
あらためてお聞かせくだされば幸甚です。

玄奘三蔵 涙したことは確かである。しかし仏道とは、そこで終わりではないのだ。
その後、己の境遇をどのように捉え、「仏の心」は何であるのかを追求することが、修行
者として最も大切な心構えである。
 仏陀のもとで学べれば幸福だったろう。しかしそれでも悟れる者と悟れぬ者はいる。
こちらの世界に還って思うのは、どのような経験も魂を鍛えるという事だ。私は旅と
学問で一生を終えてしまったが、魂への蓄積があったため、次に生れた時には相応に
独創的な仕事ができた。
 もし仏陀と共に同じ時代で生まれたとしたら、西域にまで経典を求める我が情熱は
生まれ得なかったろう。仏陀のもとで学んだとしても、心を治めるは我にあり、仏陀
の力で特殊な何かが掴めるという事はあるまい。

よしもん 私の所属する教団では、仏陀と同じ時代に相見えるために転生を繰り返し
てきたと教わっておりますが、それは違うということでしょうか?強い使命感なども
そこから生まれてくるものであると私は思うのですが。

玄奘三蔵 君を見ていると、まるで籤や賭事のように、仏陀と同じ時代に居合わせた
人は何か特権的な立場にあると勘違いしているようだ。だが、この宇宙そのものが法
であり、この心そのものが宇宙であるという仏法に照らせば、仏陀と同じ時代に居合
わせる事に拘る意味がわからない。仏陀と同じ時代に生きる事が重要なのではない。
我々が、日々、仏陀になる道を歩んでいるのか否かが最も重要であるのだ。君は他の
転生では使命感を抱かず漫然と生きるつもりであるのか?それは仏弟子に非ず!

4 「天上界の加護」を求めるは修行者の迷いである

よしもん 持ち帰って今後の探究課題とさせて頂きたく存じます。さて玄奘三蔵様は、
天竺に向かわれる途中、砂漠の中で、命をつなぎとめる大切な水をこぼしてしまい、
絶体絶命であったと伺っています。
 しかし、らくだが水のありかを知っていて助かったとのことですが、やはりそれは、
天上界からのご加護、若しくは般若心経の功徳とか、そういうものがあったということ
なのでしょうか?

玄奘三蔵 君は本当に仏弟子なのか?実は仏教にあらざる異教徒ではないのか?この
三千世界で起こる全ての事は仏の裁量の元であるのだ。玄奘を生かすも殺すも全ては
仏次第であるのだ。そう考えれば特別な「天上界の加護」などどうして期待する?
 君を見ていると「何か特別な経験をしたい」という衝動を強く感じる。この玄奘を
呼び出したのも、玄奘の大旅行にあこがれをもってのものだろう。だが世界の全てが
仏の掌にあるのに、どうして日常の中に輝きを見つけようとしないのか、それが非常
に気にかかるのだ。
 この玄奘は、今は自らの思想を練り上げる事しか頭にない。大昔の大旅行の思い出
談をもって何か特別な経験をしたとは思いたくない。そう思うのは、修行者としての
「迷い」でしかない。

5 神秘体験や奇跡体験と仏道修行は無関係である

よしもん 非常に厳しい御言葉、心に刻みたく思います。玄奘三蔵様における決死な
る求法への情熱、仏陀への信仰、これらは、どのように培われたのでしょうか。

玄奘三蔵 ・・・君はやはりおかしい。特別な、神秘的な歴史に残る体験をしたくて
うずうずしているような魔境に陥っているように見える。我が旅が重要なのではない。
重要なのは我が伝えた経典であり、思想であり、悟りである。仏陀に対する、強烈な
思慕はあくまで入り口であって出口ではない。それなのに、君は入口の話ばかりして
いる!

よしもん お言葉ですが、私は現代の日本に生を受け、再誕の仏陀にめぐり合うこと
ができました。仏陀の直説にて法が説かれ、それは、印刷技術の発達によって、ごく
短時間で書籍となります。そのような便利ですぐれた時代ではありますが、一方で、
これだけの恩恵に恵まれながら、我々日本人は、戦後の教育によって、宗教の大切さ
を教わらず、「法を求める」という心を失っているようにみえます。
 その点、玄奘三蔵様はどのように思われますでしょうか?

聖杯と剣 残念ですが、玄奘三蔵法師からあなたに伝えることはもはや無いとのこと
です。招霊は中止とします。私たち団体は常に開かれた思想を探究する組織であると
冒頭で述べましたが、「最誕の仏陀」を信仰するという時点ですでに開かれた思想で
はありません。これ以上は水掛け論となりますので、別の場にて探究して頂きたいと
思います。「仏の心」は己のうちに求め、外に求めてよいのは過去の資料のみです。
外に資料を求めた玄奘三蔵法師が言われるだけあって説得力がありますね。
 来るべきオープンソサエティにおいて、閉じた妄信は思索の妨げとなります。まず
思索の前提となる数々の前提を問い直すところから始めていただきたい。聖杯哲学に
関する記述や言及は各所にありますので、まずはそれらを当たってみてください。
それでは一旦終了とします。


★★『幸福の科学』統合スレッドpart453★★より
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1298462227/

|

« 真夜中の述懐と覚悟の表明 | トップページ | 幸福の科学統合スレッドpart631より »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1392055/42640049

この記事へのトラックバック一覧です: 玄奘三蔵の霊言:

« 真夜中の述懐と覚悟の表明 | トップページ | 幸福の科学統合スレッドpart631より »