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2011年11月26日 (土)

三島由紀夫の霊言 其の弐(再掲)

*続きです。質問に対する回答が抜け落ちていた箇所は、私の方で、
勝手に内容を作らせていただきました。
書籍化の際に行う編集作業のようなもの、ということで。
MicrosoftWordバージョンはコチラです


2 三島文学の本質に迫る

聖杯と剣 それでは次の質問者にいきましょう。

B- ありがとうございます。私、タムと申します。三島先生の作品に魅せられ、
是非とも先生の肉声に触れたいと強く願っていた次第です。このような有り難い
機会を与えてくださった聖杯と剣先生に、まずは感謝の意を述べたいと思います。
 では、世間の読者が考えるような視点から、お尋ねし難い内容もありますが、
あえて、色々と質問させてください。
 現在東京都知事となった石原慎太郎氏は、一九九一年刊の『三島由紀夫の日蝕』
という本で、三島先生の運動神経の欠如について「これでもかこれでもか!」と
いうくらいに暴露しています。いわゆる運動オンチだったというのは事実なので
しょうか?
 また、仮に、運動が不得意だったとすれば、運動神経が発達するであろう幼少
のころに、祖母に監視されて、外で身体を動かして遊ぶ事ができなかったことが
一因となっているかもしれません。今、そのようなことをした祖母についてどの
ように考えておられますでしょうか?

 私にとっての肉体鍛錬は思想鍛錬と同義

三島由紀夫 そうか、石原君が東京都知事か。皮肉なものだな。
 では、質問に答える。私が青年期に惰弱な文弱の徒であった事は、私自身述べ
た記憶があるし、運動神経に難があった事も告白している。そういう、私の個人
ヒストリイを、石原君がやたらと持ち出しているのは、石原君自身に運動に対す
るコンプレックスがあるからだよ。
 私は肉体を改造しようという一大決心のもと、剣道とボディビルに入れ込み、
ボクシングも少しかじった。
 それを傍から見て、運動音痴の冷や水と呼ぶのは勝手だが、私にとって肉体を
鍛えるとは、つとめて思想的な行為でもあった。
 石原君は、本人にマッチョ主義があるからか、私の思想的な肉体鍛練に否定的
なのだろう。
 彼は結局人生で何一つできない男だよ。文学者としても政治家としてもね。

 生まれ育った環境から糧を得よ

三島由紀夫 私の祖母へは、確かに当時は様々な葛藤があり、祖母の干渉を人生
の大問題と捉えていた時期もあった。自我の芽生えんとする少年期においては、
特に己の生まれ育ちを気にかける。
 幼年期に私は少女のように扱われ、魂の男性性が、根本から否定されたわけで
あるが、そのことによって、他とは違う独特の感性が研ぎ澄まされたことも否定
できない。成年後は文学者としての仕事をしたわけだが、その基礎を作る時期だ
ったと考えている。事実、世間からもそのように作品分析されていると思う。
 生まれた環境を言い訳にする者は多いが、そこから得る糧というものは何かし
らある。それを生かすも殺すも君次第である、という答えでよろしいか?

 『鏡子の家』の欧米文学的価値

B- ありがとうございます。次の質問です。
 『鏡子の家』は、当時の文壇では冷淡に迎えられたと聞いています。しかし、
その中身を見てみれば、拳闘をする野性味あふれる青年、道徳慣習の範囲外にあ
るニヒルな若者、純朴な童貞青年、己の肉体の美を追求する若者、それから耽美
的な死などなど……三島先生の文学に描かれた主たる人物類型などが、びっしり
と詰まっています。
 これはある意味では、三島先生の文学においては、『豊饒の海』『仮面の告白』
『金閣寺』など以上に価値ある代表作といえるのではないでしょうか。この点、
いかがお考えでしょうか?

三島由紀夫 『鏡子の家』については、まさに私自身は「我が最高傑作である」
と考えていたし、欧米の劇作家のようにこの作品を仕上げた後、長期のサバティ
カルを取ろうと考えていたくらいだ。
 それにしても君は熱心な我が読者であるなあ。
 この作品が評価されなかったのは、登場人物の人物描写が、ギリシア悲劇的に
類型的・典型的でありすぎ、およそ日本文学の思想的伝統の中では生まれえない
作品であったからのように思う。こうした作品は、外国文学になじみのある向き
でなければ、なかなかその価値が分からなかったのではないかな。

 私は「滅びの美学」を貫いた

B- なるほど、文学の価値というものはなかなか世人にはわからないものなの
ですね。次は、先生ご自身の生き様に関する質問です。
 生長の家総裁の谷口雅春氏(故人)はその著作の中で、三島先生の死について、
「生前に、美しい死に対する憧れが強かったために、その思いが具象化したのだ
ろう」という論を展開しておられます。実際、聖セバスチャンの殉教絵画を愛し、
自ら同様の構図の写真を作成したり、ご自身の文学作品にも、対談にも、エセー
にも、死を望むかのような記述が散見されます。やはり強固なる死への憧れが、
強かったのでしょうか?もしそうならば、なぜそのような望みを持つようになっ
たのでしょうか?

三島由紀夫 その谷口雅春氏の分析は極めて的を射ている。
 私は肉体を肯定するとともに肉体を否定した。生命を讃嘆するとともに、死を
愛した。その両義性の中に私の人生はあったし、そうした破滅主義的性格が我が
人生を誤らしめた。どうしてそのような思いを抱くようになるかと言えば、逆説
的ながら、死にこそ生命の本質的な輝きが逆照射されるからだ。
 燃える最後の瞬間の金閣寺が最も美しいように、消滅の中にこそ、存在の最高
の形式が表現されるからだ。これは私が「金閣寺」で描いたモチーフであるが、
我が人生もまたこのモチーフに忠実に展開された。作家は自らの人生においても
悲劇をかなでる。私もまた錯誤の中にある真実、狂気の中にある正気、死の中に
こそある生を訴えて市ヶ谷で腹を切った。

 他人に倫理を強要するは武士道に非ず

B- 当時の光景が、目の前で繰り広げられているような錯覚に陥ります。
 三島先生は、自衛隊総監室に立てこもった際に、総監を殺害せず、縄で縛りつ
けたといいますが、これについて、次のような批判があります。
「三島は、総監を殺害すべきであった。総監は生かされたゆえに、その後、生き
恥をさらして生きる苦痛に耐えねばならなかった。三島が真に武士道に生きてい
たら、総監を殺していたはずだ」
 なぜ、三島先生は、あえて総監を殺害しないことを選択したのでしょうか?

三島由紀夫 それは違う。そういう心得違いの事を言うのは、福田和也のような
与太者だ。
 武士道は他人に倫理を強要しない。他人に倫理を強要する戦陣訓的な倫理主義
は、武士道の思想的伝統に反するものだ。腹を切るのも切らぬのも三島の勝手。
総監が生き恥をさらして自害するのも総監の勝手なのだ。むしろ私は総監に対し
て、武士としての責任を取り方を自ら選択し、自ら倫理的・美的な最期を遂げる
手段を総監に委ねた。これが武士道であり、自らの武士道のため、他者を巻き添
えにするのは武士道ではない。

 武士道と自由主義・個人主義との違い

B- しかしながら、「武士道は他人に倫理を強要しない」といったご説明です
と、武士道を自由主義や個人主義と同じものだと勘違いをする輩が出てこないと
も限りません。「自由と個人が尊重される現代社会ほど、武士道が実現された社
会はない」とのたまう輩が出ないとは限りません。
 できましたら、「他人に倫理を強要せず、自己の決断にゆだねる武士道」と、
「自由主義・個人主義」との相違点についてご教授ください。

三島由紀夫 武士道はつとめて個人的なものであり、倫理は個人的なものである
からこそ意味があるのだ。倫理は、強要された瞬間、規則であり命令に堕する。
そこに武士道の精神的美学は存在しえないのだ。
 いわゆる自由主義、個人主義とどう違うのかという御質問だが、実は武士道は
極めて個人主義的なものなのだ。自由を自ら束縛する美学的倫理を個人的に選択
するのが武士道の思想的立場である。逆に言えば、いわゆる自由主義・個人主義
とて、その背後に武士道のような非常に厳しい倫理的緊張を持たなければ、真正
のものではない。フランクリンの十三徳(注)や、プロテスタントの高い倫理的
職業観を見れば、自由主義的・個人主義的に生きるというのは、実は倫理的緊張
と裏返しである事が看取できるはずである。

*注 フランクリンの十三徳
 節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、
 謙譲の十三項を指す。

 武士道は普遍的価値基準たるか

B- 先生の死後十数年経ってから論壇に登場した社会学者である、上野千鶴子、
その後に続く小倉千加子のお二人は、「フェミニズムは一人一派であり、フェミ
ニスト同士の考え方が対立するのは当然」と語っております。三島先生の考える
武士道は、もちろんフェミニズムとは異なるものではありますでしょう。しかし、
「武士道は一人一派であり、武士道を志向する者同士の意見が、真っ向から対立
するのも至極当然だ」ということでしょうか。
 そうだとすると、ここで一つ不可解なことがあります。
 三島先生は生前に、石原氏に対して、「武士なら自民党を批判するときは自民
党を出てから批判すべきだ、自民党員でありながら自民党を批判するのは、武士
として許されん」という趣旨の発言をしていたかと思います。
 三島先生はそちらの世界に赴いてから、武士道についての考えを若干改めたと
いうことでしょうか。

三島由紀夫 まずは生前の著作を振り返る。
 武士道はどこまでも個人的であり、自らを律するための倫理的体系である事は、
生前「葉隠入門」などにおいて述べている。
 他方で私は、当時瀰漫していた惰弱な風潮について、武士道の立場から厳しい
指摘をしているし、石原君だけではなく、全共闘の若者やヒッピーなどについて
も厳しく指摘している。
 一方で個人を律するストイシズムを述べ、もう一方でそのストイシズムを元に
惰弱な若者について批判するのは、矛盾しているようだがそうではない。
 武士道はどこまで行っても個人的な思想であり、それを普遍化する事はできな
い。しかし個別に武士道を実践せんとする者がその実践の中で、倫理的緊張感を
失い、真善美から程遠く生きている者について苦言を呈し、そうした惰弱な生き
方の対極たる「己の生き方を己の責任と覚悟において示す事」は、個人的実践の
範囲であると捉える。個人的な実践は突き詰めれば、他者に対する感化になるか
らだ。むろん、武士道は個人的な倫理体系であるのだから、その感化は感化され
る者からすれば“おせっかい”であるし、それは認める。これは、市ヶ谷で私が
最後にした演説にも共通する点だが、個人的な倫理体系の実践は、突き詰めれば
他人に対する“おせっかい”であり、他人を動かす事はほとんどできないのだ。
だが、武士道はそれで良しと考える。結果はともかくも動機と行動に至純が担保
される事を重視するのだ。
 これは、近代的価値観からすればマスターベーションのように見えるかもしれ
ない。だが、個人的倫理の実践は、他者からそのように言われるという宿命的な
性格がある。これは武士道に限らないのではないかな。

 私は人間を通じて世界のおぞましき本質を描いた

B- 三島先生、ご丁寧なお返事ありがとうございます。
 ふと、逆説的ではありますが、芥川龍之介を想起しました。芥川龍之介の作品、
「手巾」の主人公は、日本文化を余り深くは知らないのに、海外に向かって日本
精神として「武士道」を語る。芥川氏はそれを揶揄しました…つまりは「武士道」
の著者である新渡戸稲造氏への皮肉に満ちた作品です。
 三島先生というと、川端康成、谷崎潤一郎両氏を連想することが多いのですが、
芥川龍之介の特徴…たとえば、古典に題材を求めたこと、確固とした物語構成、
類型的ともいえる登場人物、日常的には知ることのない漢語を多用した、知的な
文章…これらを思うと、案外に、三島先生との共通点は多いかもしれません。
 そこで質問ですが、もしも、三島先生が作家活動を継続されたとすると、芥川
龍之介のように、物語のある小説から離れ、すじのない小説を目指すということ
はありえたのでしょうか?日本の文壇の主流は、わるくいえば身辺雑記的な随筆
まがいの私小説、よくいえば高邁な心境を述べる私小説だったと思われますが、
三島先生はこのような方向に進む可能性はあったのでしょうか?

三島由紀夫 私の本質は劇作家であると前に述べた。
 そうした私の作家としての作風からすれば、実存主義的な文学に取り組む事は
無かったように思う。私は人間を通じて世界のおぞましき本質をえぐりだす方法
論を採用していたのであって、文章の世界で観念世界を仮構していたのではない。
私も私小説と言っていい作品は書いているが、晩年の芥川のような実存主義への
傾倒には賛同しない。

 善悪二元と光一元について

B- 三島先生のお言葉に、「両義性の中に私の人生はあった」とあるように、
三島先生は、肯定と否定、生と死、美と醜、正気と狂気…というように、物事を
対立的にとられておられるように見受けられます。
 もしも生前に、谷口雅春氏と直にお会いして、対立的な視点から離れ、実相を
御覧になられる術を体得なされたら、三島先生のその後は大分変わっていたよう
に思われてなりませんが、いかがでしょうか?

三島由紀夫 こちらの世界で谷口氏の思想に触れて思うのは、相対では無く絶対
こそが世界の実相ではないかという事だ。両義的に世界を捉える事は、非実在な
るものを実在するが如く捉え、真に実在するものを非実在の立場から観照する、
という事だ。これは本当に世界の実相を捉えるかといえば、「そうでは無い」と
いうのが、今の私の考えだ。
 だが、谷口氏の思想的立場は、谷口氏にしか理解できない「禅的立場」である
のではないかとも思う。現に、この世界は、善と悪、真と偽、美と醜の弁証法的
闘争がしばしば止揚され得ぬままに、混沌としているようにも見える。
 文学とは、この止揚され得ぬ混沌を読者に提示し、世界の本質的なおぞましさ、
禍々しさを、読者の精神に叩きつける。
 こうした作業をしてきた者として、理論的には「光一元」を理解しえても、そ
れではこの世界の「止揚され得ぬ混沌」をどう始末したらよいか、私は説明する
ことができない。

 動機の正しさだけで世の中は変えられない

B- さきほどの、三島先生の武士道論をうかがい、ふと「忠」を思いました。
武士道は個人的な思想でありながらも、時には他者に物申すことを要求するとい
うのは、「忠」は「従順」でありながらも、「諫言」が求められることがあると
いうのと、どこか通じるものがあるように思われます。
 一つの理念が、相反する思念と行動を要求するというのは、とても興味深いこ
とです。これを深く考察するならば、いつかは実相に参入するヒントを得られそ
うな予感がしますが、いかがでしょうか。
 また、市ヶ谷のことについて多くの識者たちは、「三島由紀夫は始めから自衛
隊員たちがどのような反応をするか見切っていたが、敢えて、決起・自決という
行動をとった」と指摘しております。やはり三島先生は、その動機の清さに重き
を置き、事の成否を問おうとするおつもりはなかったようですね。
 そこで、一つ、重大な問題が生じるように思います。三島先生が至純によって
立ち上がった場合でも、多くの自衛隊員たちはそれを嘲笑い、少なからぬ識者た
ちは狂気だと突き放し、ある政治家は「迷惑だ」と切り捨てたわけです。そうで
あれば、至純によっても、人びとは感化されない、世の中はなんら変わらないと
いうことになります。これは、「至純に価値を置き世の中を変革しよう」という
者たちを絶望させかねない事実ですが、その点、どのようにお考えでしょうか。

三島由紀夫 観える。高きものは低くされ、美しきものはその輝きを失い、鼓腹
撃壌の陰には空虚な薄ら笑いが。梓弓の弦は限りなく弛緩し、もはや矢をつがえ
る事もできず、あらゆる上昇はその勾配を失い、あらゆる下降はその方向を滅す。
もはやそこにただ彷徨うだけの像があるだけであり、像の色は剥げる。
 その時、翩翻とある理念を掲げ、色を失った世界に原色をもたらし、像はその
行動を取り戻し、方向を定める。
 私のやった事はそれだ。ドン・キホーテはサンチョ・パンサによって解釈され、
サンチョ・パンサによって愚人とされる。だがサンチョ・パンサがいるおかげで
ドン・キホーテは不滅の、滅されず永遠なる実相を獲得する。
 私が市ヶ谷でドン・キホーテになった時、そこに不滅の何かを、まさに自分の
人生を悲喜劇にする事で示し得たと思う。我が最後の作品は「豊饒の海」ではな
い。市ヶ谷への突入と切腹こそが、我が最後の作品であり、ドン・キホーテへの
オマージュでもあるのだ。
 私は、谷口氏とは異なる形で、不滅を、永遠を獲得しえたと思う。それが実際
に世を変えようと、変えまいとそれを私は問わない。不滅の価値を示す事こそ、
人生の本義であり、逆に言えば、人が人生でやれる事はそれくらいの事でしか、
ない。

 無謀さが武士道的価値観の死を招く

B- ………『ドン・キホーテ(注)』と聞き、少々、考え込んでしまいました。
  *注 量販店名ではなく文学作品を指す
 その物語の冒頭は次のようなものです。

 河出書房「世界文学大系8 セルバンテス」より
  ところでご存じねがいたいことは、上に述べたこの郷士が、いつも暇さえあ
 れば(もっとも一年のうちの大部分が暇な時間であったが)、たいへんな熱中ぶ
 りでむさぼるごとく騎士道物語を読みふけったあまり、狩猟の楽しみも、はて
 は畑仕事のさしずさえことごとく忘れ去ってしまった。しまいにはその道の好
 奇心とキチガイ沙汰がこうじて、読みたい騎士道物語を買うために幾アネーガ
 という畑地を売り払ってしまった。こうやって、手にはいるかぎりのそういう
 書物をことごとく己が家に持ち込んできたのであるが、あらゆるこの種の本の
 中で、あの名高いフェリシャーノ・デ・シルバの作ったものほど彼の嗜好に投
 じた作品は一つもなかった。
  ろくに眠りもせず、無性に読みふけったばかりに、頭脳がすっかりひからび
 てしまい、はては正気を失うようなことになった。数々の妖術だとか、争闘、
 合戦、決闘、手負い、求愛、恋愛、煩悶だとか、その他さまざまなの荒唐無稽
 な出来事など、すべておびただしい本の中で読んだ、ああいう一切の幻想が彼
 のうちに満ちあふれ、そうしてああいう彼の読んだ雲をつかむような作り事の
 一切のからくりはことごとく真実で、彼にとっては世の中でこれより確かな話
 はないと思われたほど、彼の空想の主座をしめたのだった。
  まったくの話が、思慮分別をとうの昔失ってしまって~~およそ奇怪至極な
 考えにおちいるようなことになったのであるが、それはみずから遍歴の騎士と
 なって、甲冑に身をよそおい、馬に打ち乗り、あらゆる冒険を求めて世界じゅ
 うを遍歴し、遍歴の騎士の慣いとして、かねがね読み覚えたあらゆることをみ
 ずから実際に行なって、こうしてありとあらゆる非行を正し、かつは数々の危
 険と窮地に身を呈して、見事これらを克服したあかつきには、名声をとこしえ
 に竹帛に垂るることにもなるということが、己が名誉をいやますにも、国につ
 くすのにも時宜を得た肝要なことと思われたのである。この気の毒な男は、も
 うすでに自分の腕の力で、少なくともトラピソンダ帝国の帝位に登ったような
 気になっていた。かくて、こういう楽しい空想を抱き、その中で感得する不思
 議な喜悦にせき立てられて、ひたすら自分の望むところを実行に移すことを急
 いた。
  さて、こういう用意万端がととのってみると、彼が毀とうと思う不条理、正
 すべき不正、改むべき非理、除くべき弊害、果たさねばならぬ負債が山積して
 いるのであってみれば、己が躊躇によって世の中に損失をこうむらせているの
 だという考えにせき立てられて、彼はもはやこれ以上己が計画を実行にうつる
 ことを待とうとは考えなかった。

 長い引用になりました。肝心の物語の結末は、ドン・キホーテが正気に戻り、
騎士道物語に入れ込みすぎて 周囲に迷惑をかけたことを反省しつつ、その生涯を
終えることになります。
 作者であるセルバンテスの意図は、この物語を通じ、荒唐無稽でいかれた騎士
道物語を撲滅することにあったという説に、私は同意しております。
 実際、『ドン・キホーテ』が発表されて以降、あらたな騎士道物語が生まれる
ことはほとんど無くなったともいわれます。
 …とすると、三島先生の最後の有様は、不滅の価値を示すというよりも、実際
は、『ドン・キホーテ』が騎士道物語に引導を渡したように、武士道の限界を示
し、武士道を葬り去ることになっている恐れはないでしょうか。
 三島先生につづいて、死を賭して憲法に体当たりする者が出てこないことは、
この恐れが現実である可能性を示唆しているのではないでしょうか。

三島由紀夫 その指摘は実に鋭い。保守主義とは、自らも自覚している永遠では
ない価値を永遠である「かのように」演技し、そう演技する中で、価値を再認識
する思想であるが、武士道にせよ、日本浪漫主義にせよ、演技される事でかえっ
てその価値の相対性が強調されるという逆説については、保守主義者一同自覚的
でなかったのかもしれない。すなわち、三島の演技によってかえって「武士道の
不要」が強調されたのかもしれない。
 これは、武士道のみならず、保守主義にとっては最も痛い反論だ。あえてする
保守主義も結構だが、そうする事で、あなたが演技して見せる価値の体系は現代
社会にとって不要なものである事が、戯画として浮かび上がると言えてしまうか
らだ。
 そうすると、保守主義や武士道はもはや本人の感情的問題に帰着してしまう。
そこに宗教的な裏打ちがなければ、結局は本人のスタイルにしか過ぎなくなる。
私が宗教を研究しているのも、結局のところは選択的に選び取る倫理が論理的に
は脆弱である事を自覚しているからかもしれない。
 
 
(其の参へ続く)
*明日以降に。

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