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2011年10月24日 (月)

反・幸福の科学に関する考察

幸福の科学の教えといっても一言で表現するのは不可能であるが、
古今東西の宗教・哲学・歴史からエッセンスを抜き出し、
パッチワークとしているから、端々には一定の煌きがあって当然。
幸福の科学書籍の一言一句全てを拒絶していては、
引用元まで否定してしまうことになり、己の思想性は深まらない。
オール・オア・ナッシングで捉えているうちは何の進歩も無い。

守護・指導霊の理論もGLA「心の発見」の記載に基づいている。
決して幸福の科学オリジナルではない。
GLAにしても、崇め奉られるようなものではない。

また、アンチという集団は存在しない。
一把一絡げにまとめあげられるような集団ではない。

それぞれに個性があり、人生があり、思想があり、生活があり、
それぞれの事情で動き、日々を生きている。
十人十色が一種類にしか見えないのであれば、
正見が出来ているとは言いがたい。

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